【Road to KONA 2013】 チーム・Y世界選手権出場決定!

今年も早々とアイアンマン世界選手権の出場が決定した。

【速報】
~金山選手がハワイゲット!~
昨日開催されたアイアンマンメルボルンにおいて、見事アイアンマン世界選手権の出場権を獲得しました。3年連続3度目のハワイとなります。
詳細は金山選手帰国後お伝えします。
以上。
金山さん、おめでとうございます。

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チーム・Y ~100photos~

今年も国内最多出場となる4名が参加した。昨年も4名、安定した状態が続いている。今回のメンバーは7回目となるエース大西選手、3度目の石田選手、2度目の金山選手、初出場、紅一点の篠田選手の4名。篠田選手がいち早く昨年12月の70.3シンガポールで決めた。金山選手、石田選手は、3月のアイアンマンメルボルンでゲット。そして、大西選手は、6月のアイアンマン70.3セントレアに賭け、必死に練習を積んだ。そして、結果は見事ゲット。しかもエイジ1位でラストチャンスをカッコよく決めてくれた。画して今年も4名の出場となった。
レース展開だが、厳しい結果となった。常に目標はサブ10(10時間を切ること)。男子は全員、もちろんサブ10の経験はあるが、このアイアンマン世界選手権で、出すことは極めて難しい。風、暑さ、コースなど、条件が厳しい大会で、選手を苦しめる。特に今回は強風のため30分落ちとなり、記録としては、悪かった。そんな中、金山選手は10時間36分という「好タイム」でフィニッシュ。「風が無ければ。。。。。」と言ってもしかたないが、頑張ったと思う。次いで石田選手がゴール。エース大西選手は残念ながら、腹痛のためワースト記録でゴール。女子の篠田選手は、「無事完走」という結果だった。
アイアンマンの世界もレベルが急上昇中で、3年前まで10時間でゴールすると300番を切れたが、現在では、500番まで落ちる。世界の選手層は厚くなって、エイジグループでも激戦が展開されている。特に40~44歳、45~49歳のグループは激戦区で、出場権をゲットすることは、とても大変なことである。あくまでも「本戦」での結果に注目したいが、「出場することに意義がある」ということも言って良いと思う。
「家庭」「仕事」そして「週20時間以上練習」という3つを最高レベルでこなすメンバーが在籍してくれていることに感謝したい。
そして、チーム・Yとして2013年アイアンマン世界選手権出場に向けスタートする。
「Road to KONA 2013」
 .

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大西さん、石田さん、金山さん、篠田さん、お疲れさまでした。

 

 

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チーム・Y Road to KONA 2011 報告会

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本日は皇居ランと先日のアイアンマン世界選手権の報告会を開催しました。多くの方にお集まり頂き世界最高峰のレースに参戦できたことを称えました。

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石田選手

「昨年はすぐ来年のことを考えることができませんでしたが、今年はすでに来年に気持ちが向かっています。」

Report: http://triathlon-geronimo.com/?p=1856

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金山選手

「とにかく夢に見た最高の舞台だった。見るもの、聞くもの、全て最高でした。」

Report: http://triathlon-geronimo.com/?p=1864

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大西選手

「今年は4名で行くことができました。そして来年は倍の8名で出場したいです。」

Report: http://triathlon-geronimo.com/?p=1862

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佐藤選手

「来年はメンタル、フィジカルともに鍛え直してサブ11を狙いたいです。」

Report: http://triathlon-geronimo.com/?p=1859

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「ハワイ(=アイアンマン世界選手権)を狙うためにはランが重要。そのためサブスリーの実力を有することが必須となってきます。今まで出場した選手も男性であれば皆サブスリーを達成しています。サブスリー達成した上で、是非Road to KONA宣言をしてほしいです。一緒に頑張りましょう!」

と熱く語るチーム・Yエース大西選手。自身も7度目のハワイを目指す。

このハワイで2011年のシーズンが終わった。それぞれの目標を持ったハワイ、結果は様々となったが、全員無事完走できたことが一番大切で嬉しいこと。ハワイは体調、天候、運、全てを引き寄せることができたとき、最高のパフォーマンスが発揮できる。そう簡単にはベストな結果を出させてくれない。だからこそ、それに挑戦し続ける選手たちがここにいる。

本当にお疲れ様でした。

BOSS-N1-S

TEAM・Y(佐藤レポート)

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チーム・Y佐藤亮子です。

2011年10月8日
IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIPという世界最高の舞台で自分のどん底をみてきました。

私にとって9回目のアイアンマンレース。
それはまるで別世界でした。

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■SWIM

センター後方からスタート。
トライアスロンを始めるきっかけともなった水泳は自分の中で唯一の安心種目。
2009年のJAPANを除いて全てのアイアンマンレースは海外。
どんな屈強な外国人選手を前にしてもいつも陣取る場所はセンター・フロント。
しかし今回ばかりは後方からのスタート。
この時点で私は自分に負けていた。
気持ちをどうしても前へ出せなかった。
「リラックス、リラックス」と何度言い聞かせてみても心の操縦術が全く効かず。
周りのいつもと違う雰囲気に圧倒され、飲み込まれていた。
号砲から折り返しまでの1.9㌔はひたすら手を回した。
進んでいないのではと思えるほど目指すブイまでの距離が縮まらない。
スイムアップして時計を見ると、27分台。
・・・・・心の整理がつかぬままトランジットへ。
大のお気に入りである真っ赤なサーベロP2が残り数台となっていたバイクラックでまだかまだかと私を待っていた。

最初から試されていた。

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■BIKE

スタート時、急な坂を上ってからバイクコースへと入る場面で家族を含めY応援隊が熱い声援を送ってくれた。
贅沢すぎる応援。
なにが何でも追い上げる、KonaWindsなんかには負けない、と仲間を見て安堵したのかこの難攻不落とも思えたレースに僅かな闘志が湧いてきた。
レース直前に日頃からご指導頂いている選手権常連でコナを知り尽くしている大西選手からも、「強風に煽られるなよ」と念を押されていたので、
いつもよりずっと、補給時は特に強くハンドルやDHバーをしっかり握りしめた。
アップダウンよりも向かい風や横風と常に闘っていた気がする。
どこで集中していいのかがわからないコース。
単調さの中の複雑さ。
180㌔を無事に走りきれるようにと念じてバイクをひたすら漕いで漕いで踏んでいた。

辛いのに幸せだった。

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■RUN

もはや20㌔を過ぎた時点で精も根も尽き果てていた。
日射しと暑さとタフなコースで、自分のジョグペースのリズムですら掴めなかった。
残り約10㌔となるエナジーラボに入ってからは行けども行けども折り返しに辿り着けない。
もうすでに辺りは真っ暗。
足下すら確認できない。
気持ちが途方に暮れた。
弱気で埋め尽くされた心を前に向けさせ続けてくれたのは暗闇から聞こえる声援と二年前の応援時に見たコナでのゴールシーン。
あの時のゴールゲートをくぐる選手達の姿が本当に華々しくて、素敵で、重厚で。
憧れだけで今までやってきた。
私も同じようになりたかった。

ずっと目指してきた私のゴールはどんなだったのだろう。

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今回のレース、宣言していた11時間切りは疎か13時間も切れず。

レース直後、相当落ち込みました。
でも何故か今は恥ずかしさや後悔は全くなく、無事に完走でき清々しい気持ちでいっぱいです。
7月のアイアンマンコリアで今シーズンが終わってしまったかのような自分の調整不足やピークをもう一度ハワイへ向けられなかった。
未熟さは大いに反省すべきところですが、今年に入りRTK宣言をしてから自分なりに真剣に練習し、憧れの世界選手権出場という結果に繋げられたことは自信となりました。
また新たな世界を知ることができ、半歩先の目標が見つかり、本当に充実のシーズン。

最近の私は、トライアスロン道がそのまま人生道になりつつあります。
勝っても負けても、成功しても失敗しても楽しくて楽しくて仕方がない。
まだ始まったばかりです。
少し休んで、また仲間と一緒に練習を重ね、世界中の強豪が集結するCHAMPIONSHIPに再び出場できる事を目標にがんばります。

そしてもう一つの目標であるチームYのウルトラスーパーエースになることも忘れてはいません。(笑)

最高のステージでした。

日本からの応援、
現地での本当に心強かった応援隊の声援、
ありがとうございました。

RYOKO

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「勝負はメンタルで決まる。それがワールドチャンピオンシップ。」

BOSS-N1-S

TEAM・Y(石田レポート)

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Ironman World Championshipレース報告
アイアンマンハワイのレースを10時間33分で終えました。

総じて言うと、目標タイムの10時間前半には届きませんでしたが、自分の力を出し切ったという意味では、後悔のない満足のいくレースだったと思います。各種目のスプリットタイム(各種目フィニッシュ時の順位)は以下の通りです。

スイム 1:24:50 (フィニッシュ時1,511位)
バイク 5:31:36(フィニッシュ時1,136位)
ラン 3:26:04(フィニッシュ時768位)
トータル 10:33:19
総合768位 (エイジ85位)
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スイム
昨年の経験から、ウエットスーツ着用無しでのスイムをいかに自分が苦手としているかが分かっていました。去年のタイムは1時間21分で、ウェットスーツを着用出来るいつものアイアンマンンスイムより10分以上遅いタイム。よってスイムのタイムはある程度遅くなるであろうとは予測しながらも、少なくとも練習の成果で去年より速くなっているはずであり、目標タイムは1時間15分に設定。スイムスタート時は、あまりバトルに巻き込まれないように、後方かつ端からスタート。泳ぎ始めると、海水で身体が浮くために、余り足を使わずとも、スムーズに泳ぐことが出来ました。前回の佐渡のレースで、ドラフティングをして水の抵抗を受けないのがいかに効果があるのかが分かっていましたので、自分とほぼ同じスピードで泳ぐ選手を見つけた後には、その後ろにぴったりとついて泳ぐことに徹しました。実際、一人の女性選手の後ろを30分以上、泳いでいたと思います。自分ではスイムは、かなり楽にかつスムーズに泳げたので、おそらく目標の1時間15分はクリアー出来たのではとの期待感を持って泳ぎ続けました。しかし、泳ぎ終えて時計を見ると、タイムは1時間24分。それは去年よりも3分も遅いタイムで、目標にも全く届いていないので、かなり落胆(この時点で1511位)。
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バイク
トランジションエリアには、昨年同様残っているバイクは少なく、特に自分のエイジのバイクラックはほぼからっぽ。ただし、昨年経験した通りで、予想の範囲内での出来事なので、気を取り直してバイクスタート。スタート直後、チームYの仲間の声援を受けました。嬉しい半面、余りに遅いポジションでのスタートなので、恥ずかしく苦笑いをしながら、手を振って声援に応えました。こぎ始めは追い風にも助けられ、時速40キロ近くは楽に出せ、次々と前の選手を抜かしました。ただしこれも昨年同様、周囲の選手は自分より年配のおばさん、おじさんばっかりであり、なかなか自分のエイジの選手には合わないという状況。心拍数は140代半ばと普段の練習よりは少し高めのレベルであるものの、決して無理をしている水準ではなく、一定のペースを維持することを心がけました。レース当日の天気は晴れで、気温も30度を超える暑さ。エイドでは水をこまめに飲むと共に、1時間おきに塩のタブレッド、パワージェルを摂取するようにしました。
ハワイのコースの特徴は強い風で、80Kを過ぎた地点ぐらいから、強風で有名なハビィ地区に突入します。半分の90Kを過ぎた時点でタイムは約2時間40分で、ほぼ計算通りのペース。この後の強風、そして向かい風の中での上りでどこまでスローダウンせずにこぎ続けられるかが、最終のバイクのタイムを左右することを去年のレースで学びました。よってこれからが、バイクの本当の勝負と集中をとぎらせることなく、こぎ続けました。途中で気付いたのが、去年に比べて、猛烈な横風が中々現れないこと。その強風に出遭うまでに、極力距離を伸ばそうと、力を入れました。しかし100K過ぎぐらいにやはりその強風は現れました。余りに風が強いので、転倒せずにこぐのが精いっぱいという状況でした。
そのハビィの地区を抜け出すと、往路は逆に追い風に助けられ比較的楽なコースのはずでしたが、それも長続きせず、ずっと長い時間向かい風が続きました。さすがに足にも疲れが見え始め、若干ペースダウン。当初のバイクの目標タイム5時間20分が徐々に遠ざかり始め、5時間30分が現実的なタイムになってきました。またそれまでバイク開始時期から周囲の選手をどんどん抜き去っていたのが、頭打ちになり、抜かすのも困難な状況になってきました。結局5時間31分でバイクフィニッシュ(この時点で1136位まで順位を上げ、バイクで380人位を抜く)。
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ラン
バイクでの疲労感はあったものの、比較的速いピッチでランを開始。既にこの時点でおよそ7時間が経過していたので、10時間前半は無理とあきらめたものの、ランを何とか3時間20分以内におさめ、ランの自己ベストを達成することを意識して走りました。又、先行している大西さん、金山さんを何とかとらえたいと思い、まず二人の選手の位置を確認することを意識。走ってすぐに、次々とチームYの応援の皆に出会いました。去年と違い、チームの応援の人数も多いので、「声援に応えて頑張らなければ!」といい刺激になりました。軽やかなペースで次々と周囲の選手を抜かす中、心拍数は150代半ば。理想より少し高いレベルではあるもののこの暑さなので致し方ないかなと割り切りました。気温は依然として30度程度と暑いものの、ペースは1マイル7分台前半のペース(キロ4分20-~30秒ペース)のいいペースでした。去年は10K過ぎよりお腹を下し苦しんだので、それが今年も再発しないことを祈りながら走りました。そうこうしているうちに、折り返しで戻ってくる金山さんに会い、その後大西さんともすれ違う。去年は大西さんとの差はランの走り初めの段階で、既に30分程度開いており、とても追いつける差ではなかったものの、今年はそれほど差が開いていないことで追い付ける可能性は充分にあることを確認。まず大西さんに追いつくことを目標とし、マイル7分前半のペースを維持。10キロ過ぎで大西さんに追い付き、その後もいいペースで走り続け、ハーフの時点で、大体1時間34分。このままのペースで走れれば、3時間15分という好記録でランをフィニッシュ出来るのではと期待も膨らみました。
25キロ過ぎのEnergy Labの手前で金山さんに追い付きパス。少しスピードは落ちてきたものの、まだまだいけるという感じ。ただし30Kを過ぎたころから、急に力が入らなくなりました。手持ちのエネルギードリンクを飲みほしてからは、カロリー摂取はコーラに頼っていたものの、それではエネルギー不足につながったのではと反省。急に軽いめまいも感じ、今までのハイピッチのランが嘘のようにスピードが落ち始めました。それまでは、誰にも抜かされることなく、ひたすら周囲の選手をごぼう抜きにするという状況が続いていたのが、周囲の選手とほぼ同じペースまでスローダウン。Energy Labの帰路は緩やかな上り坂。「少しぐらい歩いてしまおうか」という悪魔のささやきが耳に聞こえてくる中、何とか次のエイドステーションまでは、我慢して走ることを決意。ただペースは鈍り、ちょっと前とは別人のよう。このままでは、また金山さんに追い付かれてしまうというプレッシャーを背中で感じながら、何とかエイドにたどりつき、パワージェルを摂ると共に、コーラをコップ2杯飲み干す。しかし、あと残り6~7Kとなったあたりから、最後のひと踏ん張りと、気持ちも強く持ち始め、徐々にペースが戻り始めました。ただそんな気持ちとは裏腹に、まず右のハムストリングが攣り始めました。疲弊が極限になる暑いレースではしばしば経験することですが、これが始まるととても走れる状況ではなく、立ち止まってストレッチをして、歩いては攣り、また歩いては攣る、ということを繰り返し、何とか走れるようになるというのが、いつものパターンです。しかし右のももの痙攣が治ったと思ったら、次には左のハムストリングが攣りました。そして足が悲鳴を上げる中、4回ぐらい足の痙攣を経験しましたが、ゴールまでの距離は確実に縮まっており、残りがあと5K、4Kとフィニッシュが徐々に近づいてきました。その頃には、3時間20分を切るのは無理だというのは分かっていましたが、大きく崩れなければ、3時間30分は切れるというのは分かっていたので、落ち込むことなく今のペースを維持することだけに集中して、足を運びました。そんな中、コナの街が姿を見せ始め、観衆の声援が聞こえてきました。そしてゴールに近づいてきたところで、チームの応援の皆に会いました。「ようやく帰ってきた」という安堵感を感じる中、活力がまた戻ってきました。去年は最後のアリドライブの沿道を走っていたときには、余りに心身のダメージが強かったので「もうしばらくはトライアスロンのレースのことは考えたくない」と思いながら走っていたのを思い出しました。その一方、今年は「来年もこのコナに戻ってきて、今度は10時間を切るタイムでフィニッシュするんだ」という新たな決意が生まれました。そして「Tsutomu Ishida from Japan.  You are an Ironman!」のアナウンスを聞きながら、フィニッシュラインを走り抜けました。ランのタイムは3時間26分で、順位は768位。ランスタート時の順位が1136位なので、1時間に約100人ずつ抜かし、計約350人を抜かしたことになります。
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いつもの事ですが、このフィニッシュラインを超えると、ようやく長い一日が終わったという安堵感、ついにやり遂げたという達成感、苦しみが終わったという開放感、そしてレースが終わってしまったという寂しさ、色々な混じり合った思いが湧きあがります。ただし、今年に関しては、ランの後半苦しみながらも、最後まで崩れずに走りきったと言う点で、達成感が非常に大きいものでした。
今年は6月に開催の予定であったIMチャイナのレースに照準を合わせ、2月ごろからトレーニングを続けてきました。その過程で、IMコリアでは自己ベストを大きく上回る9時間台でのフィニッシュも経験し、充実したシーズンであった気がします。ただし、ここでしばらくは休憩をとり心身ともに休めて、また来年のシーズンをフレッシュな状態で臨めるようにしたいと思います。
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「学び、進化する。今年は来年のために。そして来年はもっと強くなっているだろう。」

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RaceDay – TEAM・Y

スタート直前。この日のためにやってきた。持てる力を出し切ってほしい。

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応援団も準備万端。

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40Mile地点、トップ通過は金山選手。

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50秒差で大西選手も通過。

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やや遅れて、石田選手通過。

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ランスタート直後、トップ通過の大西選手。

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金山選手、元気いっぱい。

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スイムで出遅れたがランで徐々に上げている、石田選手。

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ランラスト10km地点、コナの夕陽に包まれながら最後の力を出し切る。トップ通過は石田選手。

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金山選手、初ハワイながら大健闘。ノーウェットのスイム、容赦のないコナウィンドが吹くバイク、そして暑さの中単調なランを走り抜く。

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6度目のエース大西選手は苦しんだ。来年7度目のハワイ で借りを返さなければいけない。

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紅一点佐藤選手。初ハワイで得たものは多いはず。

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石田さんお疲れ様でした。ありがとうございました。

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金山さんお疲れ様でした。ありがとうございました。

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大西さんお疲れ様でした。ありがとうございました。

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亮子お疲れ様でした。ありがとうございました。

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みんな無事ゴールでなにより。

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乾杯!

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2011 IRONMAN WORLD CHAMPION ” Craig Alexander ” を囲んで。

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2011年が終わった。

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「新たな課題、目標が見えた今回のレース。これから1年どこまで集中できるか、それだけだ。」

BOSS-N1-S

頑張ります!

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チーム・Yの皆様へ

大西です。
先日開かれた壮行会、本当にどうもありがとうございました。
4日(火)から現地入りします。

最大の目標であり、シーズンの最後を飾るレース。
世界から選ばれた選手が一堂に会するチャンピオンシップは、エキスポやパーティなどいろいろな楽しみが詰まっている一方、自分にとっては拭いきれない不安につつまれたところでもあります。
何度挑戦しても、跳ね返されてばかり。
自分が未だに力を出し尽くせない、100%やり遂げた感を得られていないレースだからです。

2005年、ハワイでサブ10という目標を掲げて既に7シーズン目。
去年、ランで失速した悔しい思いはまだ胸の中にあります。
今年はそのリベンジの年。

サブ10のリミットは日本時間の日曜正午。
#766の黄色いジャージが、その時までに果たしてゴールを駆け抜けられるか?
去年の自分に打ち勝って、なんとか達成したいと思っています。

熱い応援、是非、宜しくお願いします。

BOSS-N1-ST

チーム・Y サザンビーチツアー田中レポート(佐渡国際トライアスロン)

田中です。

レースは最終ゴールでしたが、みなさんへの感謝の気持ちを込め、レポートを書いてみました。今回は改めてチームの力・仲間の支えを実感し、感謝感動のレースでした。

佐渡出場は6回目、Aタイプは5回目のチャレンジ。いつも制限時間に近いタイムでのゴールなので今年こそ自己ベストで少し余裕をもってゴールしたいと前々から考えていた。

今年は震災の影響により仕事のペースが例年と大きく異なったことで、いろいろ調子はよくなかったが、それでも宮古島を何とか完走、佐渡にも参加できるだけで幸運だと、細切れではあったがトレーニングは続けていた。まとまった練習時間がとれず100Km以上のロングライドやブリックがほとんどできなかったので不安はあったが、距離総量は例年程度にはなっていたので、自己ベストは無理でも楽しんでレースはできるかと思っていた。そんな中で台風が迫り厳しいレースを予想、ちょっとネガティブモード。

レース前日にチームメンバーの神田君と落ち合い佐渡に向かう。新潟港で柏木さんやヒロキさんとも合流でき、無事に宿に到着。すぐにバイクの組み立てなど準備を済ませ開会式に参加、その後はチームツアー恒例の写真撮影と全員の完走を祈念しての乾杯。

レース当日AM3:30に起床。天候を確認すると問題なくレースは開催されそうだ。厳しいコンディションではないかと一抹の不安を抱えながらも、いつも通り準備にかかる。全ての準備を終え、まだ暗い中を集中するために一人で会場に向かう。最終登録でスイムの距離短縮を知る。日が昇り、きれいな虹が出ていたので、今日はハッピーなはずだ!と気合を入れる。

いよいよスタート!スイムの距離が短縮されたおかげで気楽にスタートすることができた。いつも通りやや後方からゆっくりと海に入る。台風の影響で沖に出れば潮にもまれるんじゃないかと思ったが順調に泳ぎ切ることができ、42分くらいで海からあがる。

長丁場のバイク、ランが苦手なので少しでもタイムを稼ぎたい。心拍数とアベレージスピードをチェックしながら進める。序盤は台風による風は感じるものの計画通り進んでいた。Z坂を過ぎた65Kmあたりから胃に違和感が出始めドリンクやジェルの補給が辛くなってきた。喉は渇くが飲めない・・・風が強まり心拍は上昇、スピードはどんどん落ち始める。このあたりから自分の中で「リタイヤ」という悪魔のささやきが始まる。エイドでもらった冷たい水であれば何とかうけつけたので、少しずつ水分のみ補給しながら進む。練習量は正直だ。100Kmを超えた両津港あたりで首・背中の張りが辛くなる。「もうやめてしまおうか?」と折れかかったところに、前方に歩道で応援するチームジャージ2名が見えた。サプライズ応援に駆けつけてくれた、青木さんとSUTOさんだった!心からの応援をいただき、折れかかった心が持ち直したのと同時に涙がでてきた。「まだまだ頑張らないと!」と思い直す。

次は大塚さん、セイジくん、タダゴンさんが待つ小木坂を目標にする。不思議なもので内蔵もやや回復し、補給を再開。15時までのランスタートを目標に13時45分を小木の通過タイムに設定したが、通過したのは14時丁度だった・・・いつもは自分からも声を出して応援にこたえるのだが、疲労で声も出なかった。こんな状態ではランもやばい、どうせタイムオーバーならと、バイク終了時でのリタイヤを考え初め、そんな状態でバイク終了。15時15分、残り6時間15分。あきらめるほど限られた時間でもないが、ランが苦手な私には辛い残り時間・・・と思ったら、バイク序盤であっさり抜かれた梶川君が目の前に。チームメンバーの前でリタイヤ宣言などできない!きっと彼も辛いはずだとランスタート。

1Km8分を目標にまずは3.7Km地点のエイドを目指しペースを確認する。7分台で走れていた。この調子でT字路の応援隊を目指そうと進む。ところが7Km地点あたりでめまいがし、走れなくなる。バイクでの補給不足による脱水症状だろう。腕を必死で振り、早歩きで10kmのチェックポイントを目指す。回復しなければそこでリタイヤしようと、またあきらめ始める。10Kmまで辿り着いたところで、すぐ後ろにいた梶川君にまた励まされる。ここまできたら13km地点のT字路まで行こうと、早歩きを継続。下りになり何とかジョグを再開しT字路へ。ちょうどT字路付近で練習仲間の毛利さんとすれ違い「ゴールで待ってるから」と声をかけてもらい、その直後に増川さんに「絶対ゴールしろ!!」と喝を入れてもらう。雨が降り出し気温が下がり始めたからか、少しずつ走れるようになる。メンバーとすれ違いながらエールをもらい、再度T字路に差し掛かるハーフ地点を目指す。何とかハーフ地点で残り時間3時間5分。大塚さんが駆け寄ってくれ「20時までにT字路に帰って来られれば絶対ゴールできる!」と力をいただく。「もう少しがんばってみます!」といいながらもトボトボ歩いていた私に「ずっと歩いていると筋肉固まるから、ちょっとずつでも走った方がいいよ!」と沿道の方にアドバイスをもらう。泣いても笑ってもあと3時間。このT字路通過をキッカケに雑念をはらい、走ることだけに集中するように専念、最後の力を振り絞る。

一歩前だけを見据え、1から100までをひたすら数えながら足を前に出す。100までいったらまた1から、その繰り返し。平地と登りは内ももが、下りは脛が攣りそうになるが100数えるまで我慢と進む。沿道からの応援もチームメンバーの応援にも申し訳ないながら、もう少しも応える余裕もない。ゴールできるかはもう気にしない。ただ、次につなげていくためになんとなく終わってしまいたくなかった。ゴールにたどり着けるか関門で止められるかまで精一杯1から100の数字を数えることだけに集中して走れば、今回のレースだけではなく、その先がみえてくるような気がした。

何千まで数えたかわからないが、残り数分で商店街の花道に到達。チームエースのMASAさんが迎えてくれ、健闘を称えてくれた。RIKIさん、ヒロキさんも最後の数百メートルを伴走してくれた。そしてゴール手前、ブルーのチームジャージの皆が待っていてくれた。真っ白に光るゲートに皆に後押しされるようにゴール。制限時間1分前、結果としてギリギリのフィニッシュとなった。いろいろな方が肩をたたいてくれたり、握手してくれたり、完走を称えてくれる。がっちり握手してくれた方いたので意識朦朧のなか顔を上げると同じレースを終えたばかりの行列メンバー菊池弁護士だったのでびっくりしたが何も反応できなかった。

ゴールエリアから這い出ると、出口で毛利さんが約束どおり待っていてくれた。ガッチリ握手!泣けてきた。チームのみんなのところにすぐに行きたかったが立っていられず、そばにあった椅子にへたり込む。しばらく休んでからみんなのところへ。握手をしながらお互いの健闘を称えあい、また応援への感謝の意を伝える。そして、いつも練習会に誘ってくれたり世話になっているCHIEさんと握手をしたら涙が止まらなくなった。もう少しスマートにゴールしたいものだ。

大塚さんをはじめ応援のみなさん、同じレースを戦った仲間のみなさん、長時間にわたる心からの応援、サポート、本当にありがとうございました。みなさんに力をいただかなければ早々にリタイヤしていたと思います。これからもよろしくお願いします。

 

 

「田中さん、完走おめでとうございます。感動しつづけましょう!」

BOSS-N1-S

2010アイアンマンレポート(大西Report)

 

【2010 IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP に参加して】

壮行会でイエロージャージを頂戴し、チーム・Yの代表として聖地巡礼の旅から戻りました。
帰ってくると、日本は急に秋模様。
ここから、暑苦しいレポートを披露するのは気が引けます(ので、暑苦しいものは自分のBLOGに掲載)。

ここでは、参加の模様と、エピソードも含めた小話を披露しようと思います。

<そもそも・・・大会の参加者>

まず、チャンピオンシップに、どれくらいの参加者がいるか、ご存知ですか?
今年で見ると、プロ枠は男子68名、女子53名、それにエイジカテゴリーが大体1,700人くらい。
加えて、抽選枠ってのがあるんです!
毎年4月15日くらいに発表になりますが、こちらは世界中から100人くらい。
毎年日本人は1人か2人しかこの抽選に当たらないのですが、なんと!
今までに2人もいるのですよ、我がチーム・Yから!
あとは少ないですが、ハンディキャップ部門やら軍隊枠(?)とかもあるそうです。
結局、今年のエントリーリストで見ると、1930人いました。
ボランティアは5000人。
選手も、ボランティアも、メディアも、世界各地からやってきます。

<変わったルールと裏話>

スイムはウェットスーツ禁止。これは水温が高いから。
バイクではディスク・ホイール禁止。強烈なコナウィンドに吹き飛ばされてしまうから。
ランでは、ルールインフォメーションに記されている有名な一節があります。

No form of locomotion other than running, walking or
crawling is allowed.
“走る、歩く、這う以外で進んではいけない”。

1982年2月、第5回大会のゴール400m手前。
女子1位だったジュリー.モス選手は、走ることも歩くこともできず倒れたが、大観衆の声援に後押しされ、這って、這って、フィニッシュラインに片手をタッチしてゴール。
この後、その模様が米国ABCテレビで放送され、アイアンマンが空前のブームとなった伝説的なエピソードです。

また、今は運営上難しく、10月の10日前後と決まってきましたが、昔は、10月の「満月に一番近い土曜日」に開催されてました。
真夜中近くを走るランナーの路面を一番照らしてくれるのは、月の灯りのみ。
ハワイの道路には街灯なんてありませんからね。

<レース当日>

昔は一斉スタートでしたが、今年からはプロはエイジよりも30分前の6時半スタート。
おかげでスタート前の準備をするプロ選手を間近で見ることが出来ました。
プロのバイクラックには、現チャンプのアレキサンダー、昨年惜しくも2位になったクリス・リエトのバイクが並びます。

バイクだけでもオーラが凄いです。

自分が見ていて少し寂しかったのは、04年、06年のチャンプ、ノーマン・スタッドラー。
SCOTTのニューバイクをラックから取り出して、壁際でひっそりと空気入れをしていました。
昔のギラギラした感じがせず、実際のレースもそんな感じで終わってしまいました。

プロを見送って、今度は残り全員で7時に一斉スタート。
私は3.8キロを1時間6分ちょっとでスイムアップしましたが、更衣テントは既に大混雑。
バイクラックエリアも当然、1900台分もあるわけで、自分のバイクにたどり着くまでにとても時間がかかります。

やっとバイクをスタート。
序盤の10キロ前後は顔見世のようなカーブやアップダウンが続き、最後に一気にハイウェイまで登ります。
ここは左右に大勢の観客がいて、さながらツールを走っているような感覚です。

しかし。
ここを終えると、有名な「Queen Ka’ahumanu Highway」、略して「QUEEN-K」を走ります。
*ちなみにkamehameha大王の奥様の名を冠した道路です。
HAWI(ハワイ島の北端の町)までの1本道を往復するのです。

この道路が、このハワイのレースを象徴してます。

右も左も溶岩台地。
ハワイには今も、活発なキラウェア火山があり、「ペレ」と呼ばれ島民から畏れられる伝説の火山の女神がいます。
昔からの噴火活動により島全体は溶岩に覆われてます。

突風にさらされ、強い日差しにさらされての180.2kmのほとんどは、応援もなし。
選手はひたすら、ひたすらDHポジションで進みます。
カーブがほとんどない直線コースだからです。

今回はトータル10時間切りを目標に掲げていました。
一番長い競技はもちろんバイク。
ここでのタイムの短縮が、全体のタイム圧縮にも繋がります。
今回、ハワイには5度目の挑戦でしたが、今までの21回のアイアンマンでの自己ベストタイムを出すことが出来ました。
壮行会で頂いたイエロージャージ、マイヨジョーヌ・マジックでしょうか?

バイクラップ 5:17:28(180.2km)

ついに最後の種目、ランニングをスタート。
一度、アリードライブを南下し、ホテルやコンドミニアムが立ち並ぶ町並みを走ります。
ここではたくさんの応援に支えられます。
8キロ地点あたりをUターンしてまたカイルア・コナに戻り、再び右折。

また「QUEEN-K」を走ります。

当然、応援はエイド以外にはありません。
エアポート手前に、普段は立ち入り禁止の「Natural Energy Lab」のエリアに入ります。
幾多の名勝負を生んできた、もう一つのランの折り返し地点です。
ここで、気付くとあと13キロ程度。
目標の10時間まであと1時間。
普通なら1時間くらいで走りきれるところでしたが、もう最後に力は残っておらず。
水を被りすぎたせいか両足にマメも出来て徐々にスピードダウン。

結局、ランは3時間38分で、ゴールタイムは10時間9分21秒。
あと10分足りませんでした。
悔しいですが、振り返ってみて、やはりこれが今の自分の実力であると実感しています。

<レースを終えて>

大塚さんとは、03年に行ったコーヒー園にレース翌日に必ず行くのですが、その風景は素晴らしく、余韻に満ちています。
ただ、再びコナの街に戻ってくると、アワードパーティーの前に、既にあちこちで解体作業が進められ、ゴールゲートも崩され、普通の田舎町へと戻っていきます。
昨日は真夜中まで盛り上がったが故に・・・とても寂しい感じがします。

でも、じっと目を閉じると。。。
帰りの飛行機の中でも、電車の中でも、そして今でも!
ゴールの花道、そしてゴールゲートをくぐった瞬間の感動が蘇ってきます。

このゴールはやはり特別です。

この1年間、頑張ってやってこれたのも、このゴールがあったからだと思います。
そして、またここに帰ってきたい、そう思わせる魔法のような磁力があります。
世界中の鉄人達が渇望する究極のレース、そのゴールに、是非、皆さんもチャレンジしてみませんか?

また、一緒に練習しましょう!

チーム・Y 大西

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お疲れさまでした。

BOSS-N1-S

2010アイアンマンレポート(石田Report)

IMハワイレース報告

アイアンマンハワイのレースを11時間2分で終えました。各種目のスプリットタイムは以下の通りです。

スイム 1:21:59 (フィニッシュ時1,436位)

バイク 5:46:53(フィニッシュ時1,195位)

ラン 3:41:10(フィニッシュ時1,005位)

トータル 11:02:01

総合1,005位 (エイジ114位)

スイムは、ウエット無しでの初のアイアンマンディスタンスのスイム。スイムが苦手な自分としてはどれぐらいのタイムでスイムフィニッシュ出来るのか未知数であり、不安でした。ただし泳いでみると、海水で身体が浮くためと、大会数日前に購入したXTERRAのスピードスーツに効果があるのか、思ったよりスムーズに泳ぐことが出来ました。プールではよくキックが邪魔をしていると言われますが、あまりキックをせずとも身体が浮くので、ウェットスーツを着ているのと同じ感覚で泳げており、これはひょっとしたらいいタイムでフィニッシュ出来るのでは、期待しながら泳ぎました。しかし、泳ぎ終えて時計を見ると、タイムは1時間21分。いつものウエットを着てのスイムよりは、約10分遅いので少しがっかり。

トランジションエリアには、予想通り残っているバイクな少なかったです。そんななかスイムでの遅れを取り戻そうと、かなりいいペースでバイクを飛ばし、前にいる選手をひたすら抜かしました。しかしいくら抜けども、目にするのは、おばさんか、おねーちゃんか、おじいちゃん系の選手のみ。なかなか自分のエイジグループの人間には追い付きませんでした。そうこうしているうちに、80~90K地点でハビィ地区に突入。それまでも風は吹いていたのですが、このハビィ地区を左折してからの強烈な横風には、驚き、恐怖さえ感じました。バイクが流されないようにバランスをとるのに精いっぱいで、こわごわとしながらバイクをこいでいました。また、コース自体、急坂はないものの、向かい風となだらかな坂の連続には、思ったより足を疲弊させられました。当初のバイクフィニッシュは5時間30分を予定しており、最初の90Kはほぼ2時間40分でいいペース。これは目標タイムでフィニッシュ出来るかなと期待していましたが、後半の坂、向かい風を克服するには力が足りず、徐々にスピードが落ち、結局5時間46分でバイクフィニッシュ。

スイム、バイクの遅れを取り戻そうと、ランはハイペースで走り始めました。バイクを乗っている時も、予想よりフィニッシュが遅れそうなものは分かっていたものの、バイクで足を使い切るわけにはいかないので、幾分貯金を残すことを心がけてライドしていたので、それなりに走れる自信はありました。最初の5Kは20分40秒、10Kで41分台とハイピッチでしたが、心拍数は150以下であり、あまり無理をしている感覚はありませんでした。しかし、その頃より、腹部の不快感、膨張感、腹痛が開始。その後、下痢でトイレに何度もかけこむはめになり、とても走るのに集中出来なくなりました。またジェル等の甘いものを身体が受け付けなくなり、吐き気も覚えました。どうもあまり意識はしていなかったものの、やはり暑さの中で身体を酷使していたので、内臓機能が疲弊したのかもしれません。このような経験は他の選手からはよく聞いていましたが、今まで自分には全く無縁なものでした。そうしているうちに、走るのが苦しくなり、歩き始めました。今までアイアンマンのランで崩れたことは一度も無かったので、正直かなり悔しかったです。「これで今日のレースは終わった。何時間したらランをフィニッシュ出来るのかな。5時間以上かかるのかな」と半分諦めのモード。そんな悔しさを噛みしめながら、クィーンKハイウェイの下り坂をジョギングしては、歩くという展開に。どんどん周囲の人間には抜かされました。しかしながら12Mぐらいで4度目のトイレに駆け込んだ時、(汚くて恐縮ですが)すべてお腹のものを出しきったら、急に便意も収まり、再び走れるような気が出てきました。徐々にペースはキロ5分に戻り、ハーフを終えた時点で、時計を見ると2時間弱。「ここで踏ん張れば何とかランで4時間を切れるかもしれない。更には、ひょっとして3時間40分を切れば11時間以内でゴールできるかもしれない」と突如具体的な目標が出来ました。その目標設定をしてからは、足がどんどん動くようになりました。そして、いつもであれば、25K、30K過ぎからが苦しいのが、逆にペースが速くなり、キロ5分ペースが、4分30-40秒ペースまで上げられ、心拍数も150前後まで追い込むことが出来ました。あれほど序盤で苦しみ、諦めていたのが、嘘のようであり、いつのまにか苦しみが過去のものとなっていました。結果、残りのハーフは周囲のランナーをごぼう抜きにする中、ほぼ1時間40分で走り終え、3時間41分でランをフィニッシュしました。

レースを終えた時点での感想は、かなり辛かったなというものです。又自分としては、各種目で自分の思った通りのタイムでフィニッシュ出来なかったという点には、後悔の念もありました。ただし、今こうして冷静に振り返ってみると、レースを最後まで投げずに、ランでつぶれることなく、復活を遂げることが出来たこの経験というのは、今後のレースで生きてくる貴重なものだったかなとプラス評価しています。

最後に、このハワイの大会は初出場ですが、やはり他のアイアンマンレースとは違う、重み、達成感、やり甲斐があります。まだ今はリカバリーモードなので、あまり次のレースの事は考えたくないのですが、しばらく休憩をしたのちに、また来年の「Road to Kona」を考えていくのだと思います。

石田 力

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お疲れさまでした。

BOSS-N1-S