頑張ります!

大西.jpg

チーム・Yの皆様へ

大西です。
先日開かれた壮行会、本当にどうもありがとうございました。
4日(火)から現地入りします。

最大の目標であり、シーズンの最後を飾るレース。
世界から選ばれた選手が一堂に会するチャンピオンシップは、エキスポやパーティなどいろいろな楽しみが詰まっている一方、自分にとっては拭いきれない不安につつまれたところでもあります。
何度挑戦しても、跳ね返されてばかり。
自分が未だに力を出し尽くせない、100%やり遂げた感を得られていないレースだからです。

2005年、ハワイでサブ10という目標を掲げて既に7シーズン目。
去年、ランで失速した悔しい思いはまだ胸の中にあります。
今年はそのリベンジの年。

サブ10のリミットは日本時間の日曜正午。
#766の黄色いジャージが、その時までに果たしてゴールを駆け抜けられるか?
去年の自分に打ち勝って、なんとか達成したいと思っています。

熱い応援、是非、宜しくお願いします。

BOSS-N1-ST

チーム・Y サザンビーチツアー田中レポート(佐渡国際トライアスロン)

田中です。

レースは最終ゴールでしたが、みなさんへの感謝の気持ちを込め、レポートを書いてみました。今回は改めてチームの力・仲間の支えを実感し、感謝感動のレースでした。

佐渡出場は6回目、Aタイプは5回目のチャレンジ。いつも制限時間に近いタイムでのゴールなので今年こそ自己ベストで少し余裕をもってゴールしたいと前々から考えていた。

今年は震災の影響により仕事のペースが例年と大きく異なったことで、いろいろ調子はよくなかったが、それでも宮古島を何とか完走、佐渡にも参加できるだけで幸運だと、細切れではあったがトレーニングは続けていた。まとまった練習時間がとれず100Km以上のロングライドやブリックがほとんどできなかったので不安はあったが、距離総量は例年程度にはなっていたので、自己ベストは無理でも楽しんでレースはできるかと思っていた。そんな中で台風が迫り厳しいレースを予想、ちょっとネガティブモード。

レース前日にチームメンバーの神田君と落ち合い佐渡に向かう。新潟港で柏木さんやヒロキさんとも合流でき、無事に宿に到着。すぐにバイクの組み立てなど準備を済ませ開会式に参加、その後はチームツアー恒例の写真撮影と全員の完走を祈念しての乾杯。

レース当日AM3:30に起床。天候を確認すると問題なくレースは開催されそうだ。厳しいコンディションではないかと一抹の不安を抱えながらも、いつも通り準備にかかる。全ての準備を終え、まだ暗い中を集中するために一人で会場に向かう。最終登録でスイムの距離短縮を知る。日が昇り、きれいな虹が出ていたので、今日はハッピーなはずだ!と気合を入れる。

いよいよスタート!スイムの距離が短縮されたおかげで気楽にスタートすることができた。いつも通りやや後方からゆっくりと海に入る。台風の影響で沖に出れば潮にもまれるんじゃないかと思ったが順調に泳ぎ切ることができ、42分くらいで海からあがる。

長丁場のバイク、ランが苦手なので少しでもタイムを稼ぎたい。心拍数とアベレージスピードをチェックしながら進める。序盤は台風による風は感じるものの計画通り進んでいた。Z坂を過ぎた65Kmあたりから胃に違和感が出始めドリンクやジェルの補給が辛くなってきた。喉は渇くが飲めない・・・風が強まり心拍は上昇、スピードはどんどん落ち始める。このあたりから自分の中で「リタイヤ」という悪魔のささやきが始まる。エイドでもらった冷たい水であれば何とかうけつけたので、少しずつ水分のみ補給しながら進む。練習量は正直だ。100Kmを超えた両津港あたりで首・背中の張りが辛くなる。「もうやめてしまおうか?」と折れかかったところに、前方に歩道で応援するチームジャージ2名が見えた。サプライズ応援に駆けつけてくれた、青木さんとSUTOさんだった!心からの応援をいただき、折れかかった心が持ち直したのと同時に涙がでてきた。「まだまだ頑張らないと!」と思い直す。

次は大塚さん、セイジくん、タダゴンさんが待つ小木坂を目標にする。不思議なもので内蔵もやや回復し、補給を再開。15時までのランスタートを目標に13時45分を小木の通過タイムに設定したが、通過したのは14時丁度だった・・・いつもは自分からも声を出して応援にこたえるのだが、疲労で声も出なかった。こんな状態ではランもやばい、どうせタイムオーバーならと、バイク終了時でのリタイヤを考え初め、そんな状態でバイク終了。15時15分、残り6時間15分。あきらめるほど限られた時間でもないが、ランが苦手な私には辛い残り時間・・・と思ったら、バイク序盤であっさり抜かれた梶川君が目の前に。チームメンバーの前でリタイヤ宣言などできない!きっと彼も辛いはずだとランスタート。

1Km8分を目標にまずは3.7Km地点のエイドを目指しペースを確認する。7分台で走れていた。この調子でT字路の応援隊を目指そうと進む。ところが7Km地点あたりでめまいがし、走れなくなる。バイクでの補給不足による脱水症状だろう。腕を必死で振り、早歩きで10kmのチェックポイントを目指す。回復しなければそこでリタイヤしようと、またあきらめ始める。10Kmまで辿り着いたところで、すぐ後ろにいた梶川君にまた励まされる。ここまできたら13km地点のT字路まで行こうと、早歩きを継続。下りになり何とかジョグを再開しT字路へ。ちょうどT字路付近で練習仲間の毛利さんとすれ違い「ゴールで待ってるから」と声をかけてもらい、その直後に増川さんに「絶対ゴールしろ!!」と喝を入れてもらう。雨が降り出し気温が下がり始めたからか、少しずつ走れるようになる。メンバーとすれ違いながらエールをもらい、再度T字路に差し掛かるハーフ地点を目指す。何とかハーフ地点で残り時間3時間5分。大塚さんが駆け寄ってくれ「20時までにT字路に帰って来られれば絶対ゴールできる!」と力をいただく。「もう少しがんばってみます!」といいながらもトボトボ歩いていた私に「ずっと歩いていると筋肉固まるから、ちょっとずつでも走った方がいいよ!」と沿道の方にアドバイスをもらう。泣いても笑ってもあと3時間。このT字路通過をキッカケに雑念をはらい、走ることだけに集中するように専念、最後の力を振り絞る。

一歩前だけを見据え、1から100までをひたすら数えながら足を前に出す。100までいったらまた1から、その繰り返し。平地と登りは内ももが、下りは脛が攣りそうになるが100数えるまで我慢と進む。沿道からの応援もチームメンバーの応援にも申し訳ないながら、もう少しも応える余裕もない。ゴールできるかはもう気にしない。ただ、次につなげていくためになんとなく終わってしまいたくなかった。ゴールにたどり着けるか関門で止められるかまで精一杯1から100の数字を数えることだけに集中して走れば、今回のレースだけではなく、その先がみえてくるような気がした。

何千まで数えたかわからないが、残り数分で商店街の花道に到達。チームエースのMASAさんが迎えてくれ、健闘を称えてくれた。RIKIさん、ヒロキさんも最後の数百メートルを伴走してくれた。そしてゴール手前、ブルーのチームジャージの皆が待っていてくれた。真っ白に光るゲートに皆に後押しされるようにゴール。制限時間1分前、結果としてギリギリのフィニッシュとなった。いろいろな方が肩をたたいてくれたり、握手してくれたり、完走を称えてくれる。がっちり握手してくれた方いたので意識朦朧のなか顔を上げると同じレースを終えたばかりの行列メンバー菊池弁護士だったのでびっくりしたが何も反応できなかった。

ゴールエリアから這い出ると、出口で毛利さんが約束どおり待っていてくれた。ガッチリ握手!泣けてきた。チームのみんなのところにすぐに行きたかったが立っていられず、そばにあった椅子にへたり込む。しばらく休んでからみんなのところへ。握手をしながらお互いの健闘を称えあい、また応援への感謝の意を伝える。そして、いつも練習会に誘ってくれたり世話になっているCHIEさんと握手をしたら涙が止まらなくなった。もう少しスマートにゴールしたいものだ。

大塚さんをはじめ応援のみなさん、同じレースを戦った仲間のみなさん、長時間にわたる心からの応援、サポート、本当にありがとうございました。みなさんに力をいただかなければ早々にリタイヤしていたと思います。これからもよろしくお願いします。

 

 

「田中さん、完走おめでとうございます。感動しつづけましょう!」

BOSS-N1-S

2010アイアンマンレポート(大西Report)

 

【2010 IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP に参加して】

壮行会でイエロージャージを頂戴し、チーム・Yの代表として聖地巡礼の旅から戻りました。
帰ってくると、日本は急に秋模様。
ここから、暑苦しいレポートを披露するのは気が引けます(ので、暑苦しいものは自分のBLOGに掲載)。

ここでは、参加の模様と、エピソードも含めた小話を披露しようと思います。

<そもそも・・・大会の参加者>

まず、チャンピオンシップに、どれくらいの参加者がいるか、ご存知ですか?
今年で見ると、プロ枠は男子68名、女子53名、それにエイジカテゴリーが大体1,700人くらい。
加えて、抽選枠ってのがあるんです!
毎年4月15日くらいに発表になりますが、こちらは世界中から100人くらい。
毎年日本人は1人か2人しかこの抽選に当たらないのですが、なんと!
今までに2人もいるのですよ、我がチーム・Yから!
あとは少ないですが、ハンディキャップ部門やら軍隊枠(?)とかもあるそうです。
結局、今年のエントリーリストで見ると、1930人いました。
ボランティアは5000人。
選手も、ボランティアも、メディアも、世界各地からやってきます。

<変わったルールと裏話>

スイムはウェットスーツ禁止。これは水温が高いから。
バイクではディスク・ホイール禁止。強烈なコナウィンドに吹き飛ばされてしまうから。
ランでは、ルールインフォメーションに記されている有名な一節があります。

No form of locomotion other than running, walking or
crawling is allowed.
“走る、歩く、這う以外で進んではいけない”。

1982年2月、第5回大会のゴール400m手前。
女子1位だったジュリー.モス選手は、走ることも歩くこともできず倒れたが、大観衆の声援に後押しされ、這って、這って、フィニッシュラインに片手をタッチしてゴール。
この後、その模様が米国ABCテレビで放送され、アイアンマンが空前のブームとなった伝説的なエピソードです。

また、今は運営上難しく、10月の10日前後と決まってきましたが、昔は、10月の「満月に一番近い土曜日」に開催されてました。
真夜中近くを走るランナーの路面を一番照らしてくれるのは、月の灯りのみ。
ハワイの道路には街灯なんてありませんからね。

<レース当日>

昔は一斉スタートでしたが、今年からはプロはエイジよりも30分前の6時半スタート。
おかげでスタート前の準備をするプロ選手を間近で見ることが出来ました。
プロのバイクラックには、現チャンプのアレキサンダー、昨年惜しくも2位になったクリス・リエトのバイクが並びます。

バイクだけでもオーラが凄いです。

自分が見ていて少し寂しかったのは、04年、06年のチャンプ、ノーマン・スタッドラー。
SCOTTのニューバイクをラックから取り出して、壁際でひっそりと空気入れをしていました。
昔のギラギラした感じがせず、実際のレースもそんな感じで終わってしまいました。

プロを見送って、今度は残り全員で7時に一斉スタート。
私は3.8キロを1時間6分ちょっとでスイムアップしましたが、更衣テントは既に大混雑。
バイクラックエリアも当然、1900台分もあるわけで、自分のバイクにたどり着くまでにとても時間がかかります。

やっとバイクをスタート。
序盤の10キロ前後は顔見世のようなカーブやアップダウンが続き、最後に一気にハイウェイまで登ります。
ここは左右に大勢の観客がいて、さながらツールを走っているような感覚です。

しかし。
ここを終えると、有名な「Queen Ka’ahumanu Highway」、略して「QUEEN-K」を走ります。
*ちなみにkamehameha大王の奥様の名を冠した道路です。
HAWI(ハワイ島の北端の町)までの1本道を往復するのです。

この道路が、このハワイのレースを象徴してます。

右も左も溶岩台地。
ハワイには今も、活発なキラウェア火山があり、「ペレ」と呼ばれ島民から畏れられる伝説の火山の女神がいます。
昔からの噴火活動により島全体は溶岩に覆われてます。

突風にさらされ、強い日差しにさらされての180.2kmのほとんどは、応援もなし。
選手はひたすら、ひたすらDHポジションで進みます。
カーブがほとんどない直線コースだからです。

今回はトータル10時間切りを目標に掲げていました。
一番長い競技はもちろんバイク。
ここでのタイムの短縮が、全体のタイム圧縮にも繋がります。
今回、ハワイには5度目の挑戦でしたが、今までの21回のアイアンマンでの自己ベストタイムを出すことが出来ました。
壮行会で頂いたイエロージャージ、マイヨジョーヌ・マジックでしょうか?

バイクラップ 5:17:28(180.2km)

ついに最後の種目、ランニングをスタート。
一度、アリードライブを南下し、ホテルやコンドミニアムが立ち並ぶ町並みを走ります。
ここではたくさんの応援に支えられます。
8キロ地点あたりをUターンしてまたカイルア・コナに戻り、再び右折。

また「QUEEN-K」を走ります。

当然、応援はエイド以外にはありません。
エアポート手前に、普段は立ち入り禁止の「Natural Energy Lab」のエリアに入ります。
幾多の名勝負を生んできた、もう一つのランの折り返し地点です。
ここで、気付くとあと13キロ程度。
目標の10時間まであと1時間。
普通なら1時間くらいで走りきれるところでしたが、もう最後に力は残っておらず。
水を被りすぎたせいか両足にマメも出来て徐々にスピードダウン。

結局、ランは3時間38分で、ゴールタイムは10時間9分21秒。
あと10分足りませんでした。
悔しいですが、振り返ってみて、やはりこれが今の自分の実力であると実感しています。

<レースを終えて>

大塚さんとは、03年に行ったコーヒー園にレース翌日に必ず行くのですが、その風景は素晴らしく、余韻に満ちています。
ただ、再びコナの街に戻ってくると、アワードパーティーの前に、既にあちこちで解体作業が進められ、ゴールゲートも崩され、普通の田舎町へと戻っていきます。
昨日は真夜中まで盛り上がったが故に・・・とても寂しい感じがします。

でも、じっと目を閉じると。。。
帰りの飛行機の中でも、電車の中でも、そして今でも!
ゴールの花道、そしてゴールゲートをくぐった瞬間の感動が蘇ってきます。

このゴールはやはり特別です。

この1年間、頑張ってやってこれたのも、このゴールがあったからだと思います。
そして、またここに帰ってきたい、そう思わせる魔法のような磁力があります。
世界中の鉄人達が渇望する究極のレース、そのゴールに、是非、皆さんもチャレンジしてみませんか?

また、一緒に練習しましょう!

チーム・Y 大西

.

.

お疲れさまでした。

BOSS-N1-S

2010アイアンマンレポート(石田Report)

IMハワイレース報告

アイアンマンハワイのレースを11時間2分で終えました。各種目のスプリットタイムは以下の通りです。

スイム 1:21:59 (フィニッシュ時1,436位)

バイク 5:46:53(フィニッシュ時1,195位)

ラン 3:41:10(フィニッシュ時1,005位)

トータル 11:02:01

総合1,005位 (エイジ114位)

スイムは、ウエット無しでの初のアイアンマンディスタンスのスイム。スイムが苦手な自分としてはどれぐらいのタイムでスイムフィニッシュ出来るのか未知数であり、不安でした。ただし泳いでみると、海水で身体が浮くためと、大会数日前に購入したXTERRAのスピードスーツに効果があるのか、思ったよりスムーズに泳ぐことが出来ました。プールではよくキックが邪魔をしていると言われますが、あまりキックをせずとも身体が浮くので、ウェットスーツを着ているのと同じ感覚で泳げており、これはひょっとしたらいいタイムでフィニッシュ出来るのでは、期待しながら泳ぎました。しかし、泳ぎ終えて時計を見ると、タイムは1時間21分。いつものウエットを着てのスイムよりは、約10分遅いので少しがっかり。

トランジションエリアには、予想通り残っているバイクな少なかったです。そんななかスイムでの遅れを取り戻そうと、かなりいいペースでバイクを飛ばし、前にいる選手をひたすら抜かしました。しかしいくら抜けども、目にするのは、おばさんか、おねーちゃんか、おじいちゃん系の選手のみ。なかなか自分のエイジグループの人間には追い付きませんでした。そうこうしているうちに、80~90K地点でハビィ地区に突入。それまでも風は吹いていたのですが、このハビィ地区を左折してからの強烈な横風には、驚き、恐怖さえ感じました。バイクが流されないようにバランスをとるのに精いっぱいで、こわごわとしながらバイクをこいでいました。また、コース自体、急坂はないものの、向かい風となだらかな坂の連続には、思ったより足を疲弊させられました。当初のバイクフィニッシュは5時間30分を予定しており、最初の90Kはほぼ2時間40分でいいペース。これは目標タイムでフィニッシュ出来るかなと期待していましたが、後半の坂、向かい風を克服するには力が足りず、徐々にスピードが落ち、結局5時間46分でバイクフィニッシュ。

スイム、バイクの遅れを取り戻そうと、ランはハイペースで走り始めました。バイクを乗っている時も、予想よりフィニッシュが遅れそうなものは分かっていたものの、バイクで足を使い切るわけにはいかないので、幾分貯金を残すことを心がけてライドしていたので、それなりに走れる自信はありました。最初の5Kは20分40秒、10Kで41分台とハイピッチでしたが、心拍数は150以下であり、あまり無理をしている感覚はありませんでした。しかし、その頃より、腹部の不快感、膨張感、腹痛が開始。その後、下痢でトイレに何度もかけこむはめになり、とても走るのに集中出来なくなりました。またジェル等の甘いものを身体が受け付けなくなり、吐き気も覚えました。どうもあまり意識はしていなかったものの、やはり暑さの中で身体を酷使していたので、内臓機能が疲弊したのかもしれません。このような経験は他の選手からはよく聞いていましたが、今まで自分には全く無縁なものでした。そうしているうちに、走るのが苦しくなり、歩き始めました。今までアイアンマンのランで崩れたことは一度も無かったので、正直かなり悔しかったです。「これで今日のレースは終わった。何時間したらランをフィニッシュ出来るのかな。5時間以上かかるのかな」と半分諦めのモード。そんな悔しさを噛みしめながら、クィーンKハイウェイの下り坂をジョギングしては、歩くという展開に。どんどん周囲の人間には抜かされました。しかしながら12Mぐらいで4度目のトイレに駆け込んだ時、(汚くて恐縮ですが)すべてお腹のものを出しきったら、急に便意も収まり、再び走れるような気が出てきました。徐々にペースはキロ5分に戻り、ハーフを終えた時点で、時計を見ると2時間弱。「ここで踏ん張れば何とかランで4時間を切れるかもしれない。更には、ひょっとして3時間40分を切れば11時間以内でゴールできるかもしれない」と突如具体的な目標が出来ました。その目標設定をしてからは、足がどんどん動くようになりました。そして、いつもであれば、25K、30K過ぎからが苦しいのが、逆にペースが速くなり、キロ5分ペースが、4分30-40秒ペースまで上げられ、心拍数も150前後まで追い込むことが出来ました。あれほど序盤で苦しみ、諦めていたのが、嘘のようであり、いつのまにか苦しみが過去のものとなっていました。結果、残りのハーフは周囲のランナーをごぼう抜きにする中、ほぼ1時間40分で走り終え、3時間41分でランをフィニッシュしました。

レースを終えた時点での感想は、かなり辛かったなというものです。又自分としては、各種目で自分の思った通りのタイムでフィニッシュ出来なかったという点には、後悔の念もありました。ただし、今こうして冷静に振り返ってみると、レースを最後まで投げずに、ランでつぶれることなく、復活を遂げることが出来たこの経験というのは、今後のレースで生きてくる貴重なものだったかなとプラス評価しています。

最後に、このハワイの大会は初出場ですが、やはり他のアイアンマンレースとは違う、重み、達成感、やり甲斐があります。まだ今はリカバリーモードなので、あまり次のレースの事は考えたくないのですが、しばらく休憩をしたのちに、また来年の「Road to Kona」を考えていくのだと思います。

石田 力

.

お疲れさまでした。

BOSS-N1-S

2010佐渡トライアスロンツアー(小林Report)

小林です。

佐渡は3回目の参戦でした。1年目リレー(2年前swim)、2年目(去年B)、そして今年もB。去年まではずっと大学の友達と出ていました。スイム練で知り合ったちえさんを通じて昨年秋頃から皇居ランに参加するようになり、チームYにお世話になり始め、大島合宿などを経て、今年の佐渡はYのツアーに参加させて頂くことになりました。

仕事柄、春からずっと屋外で日に当たっているので人並み以上に日焼けしています。なので、すごい速い選手に見られがちなのですが、実は期待を裏切り普通です。ストイックな練習の結果の日焼けではないのですが、よく誤解されます。

当日の朝、入水チェックの後スタート待ち。しかし女子Bがわたしだけだったのと、スタート前は自分の世界に入るくせがあるので、ギリギリまでキャップもかぶらず選手権のスタートを端っこで見てました。そしてスタート。バトルを避けてゆっくり泳ぎだし。しかし結局同じような考えの人達の塊に飲み込まれ、避けたはずのバトルを地味に味わいました。

なんとかスイムアップし、バイクスタート。乗車ライン越えて走りながらメーターをいじってると「アッキー!」と声が。でもわたしチームで最後だろうし、もう小木に移動しちゃってるだろうからここには応援いないよね、なんて思って油断して顔を向けると青いジャージの方々がわたしの名前を呼んでくれてました。待っててくれたー!と嬉しくなりました。と同時に、ずいぶん待たせてごめんなさい、の気持ちも…

%E3%81%8F%E3%82%8D%EF%BC%92.jpg

バイクはまったく上がらず、でもDHポジションが基本だ、と言われたのを思い出し、よっぽど辛いとき以外はずっとDHで乗りました。なんだかサイクリング並のスピードではありましたが、ポジションも調整していただいたおかげでお尻があまり痛くならずに漕げました。すごく暑くて集中力を欠く場面が何度もあったので、給水で氷水をもらうたびにザブザブ体にかけながら漕ぎました。小木の坂、小木の坂…坂のどこに応援隊はいるのー!と思い、でも辛くて顔を下げちゃったときに「アッキー!!」と怒鳴られ、がんばれ!の横断幕?をどん!と見せられました。こんな辛いとこにいたのね、そーね、登り始めじゃ意味ないよね、と思いながら、でも気の利いたリアクションを取る余裕はなく心の中で感謝しながらなんとか登りきり、坂突破。でも、これで登りは終わり?と思いきや登り坂はまだまだあって、まだあったんかい!!とかなり凹みました。

ランは、どれも遅いけど3種目の中では一番マシでした。沿道の島の方々の声援みんなに、ありがとー!と応えて手を振りながら走りました。そしてゴール。

宿に帰って荷物の整理をしてからAのお出迎えに再出発。自分の倍の距離をやり抜いた仲間達のゴールはみんなカッコよかったし、感動しました。いっぱいゴール写真にも写りました♪そして21:30にすべての照明が落ちて花火。過去2回は見ないで宿で過ごしていたので、3回目にして初めての花火。また感動しました。なんで今まで見なかったんだろう…もったいないことを!

今回は、ゆるい制限時間に甘えて、まったくタイムにこだわらないレースをしてしまいました。なので個人的には達成感はあまりありません。リザルト見て、これじゃいかん!と反省しました。がんばった仲間と素直に健闘を讃え合えるように、練習がんばって来年リベンジしたいと思います。

大塚さん始め応援隊員のみなさん、暑い中を朝から晩まで本当にありがとうございました。頭が下がります。同部屋の女子部のみなさん、それぞれマイペースで、そしていろいろ話せて楽しかったですありがとう。そして男子部のみなさん、みんなカッコよかったです(一瞬のランとゴールしか見てないけど)。

来年はタイムと順位にこだわったレースします。がんばります。これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。」

 

以上。

 

「小林さん、お疲れ様でした。こだわりが大切です。」

 BOSS-N1-S

2010佐渡トライアスロンツアー(瀬河Report)

瀬河です。
今年の大島でデビューしてATCカップと今回の佐渡で3回目のトライアスロンとなります。
デビュー戦の大島ではスイムでタイムオーバーしてしまいさんざんな結果に終わってしまいました。
今回は佐渡Bタイプでの参加ですが完走できるか不安でしたが「今まで練習してきたのだから大丈夫」と自分に言い聞かせながらスタートを向かえました。
まず最初のスイムですが、前回の大島での失敗は波が高かったせいもありましたが最初に飛ばし過ぎて心拍が上がりきってしまい力尽きたのが原因だと思っています。(完全な戦略ミス)
それを教訓にし前半の500mぐらいは徐々に心拍を上げながら慎重に泳ぎました。
途中何度かバトルに巻き込まれながらも何とか2kを泳ぎ切りました。
%E3%81%9B%E3%81%8C%EF%BC%91.jpg
バイクですが佐渡のコースは景色もよく途中アップダウンも有りますが平坦な所も多く走りやすかった事もあって時速32~3キロのイーブンペースで走る事が出来ました。
気温が暑かったので脱水症状ならないよう水分と補給を取りながら走りました。
savas.jpg
補給はSAVASのピットインリキットを半ぷんづつ30分おきに取りながら水分は喉が乾かないようにこまめ取るようにしました。
後半に差しかかったころ、目の前に激坂が現れました。沿道で応援していた方が
「コースで一番きつい所です。頑張ってください」と声を掛けられ「これが噂の小木の坂か」思いながら
前半の急斜面に立ち向かって行きました。
10%E5%A4%8F%E5%90%88%E5%AE%BF.jpg
%E5%BD%A9%E6%B9%96%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0.jpg
「大島合宿、白石峠とこれ以上の練習を積んできのだから大丈夫」と思いながら・・・・
%E3%81%9B%E3%81%8C%EF%BC%94.jpg
坂を上りきって少し平坦になったところでチーム・Yの旗が目に入りました。
%E3%81%9B%E3%81%8C%EF%BC%92.jpg
大塚さん、須藤さんをはじめ応援の方々に大声で名前を呼ばれて嬉しかったです。
この暑い中、応援の方も大変なのに頑張っているなと思うとさらに気合が入りました。
そしてバイクフィニッシュを向かえ最後のランに入りました。
猛暑とお尻の痛みと足の疲れで前半の10kは心が折れそうなぐらい辛かったです。
ぜんぜん足が前に出ませんでした。
途中のエイドで氷水をかけてもらい体を冷やしながら走り続け後半はすこしペースが上がり感動のフィニッシュをしました。
この後はAタイプの方の応援を商店街とゴール前でしました。
応援していると自分も絶対ロングを完走してやろうという思いがこみ上げて来ました。
来年は絶対Aタイプに出ます。
距離が倍になり辛さも倍になりますがフィニッシュの感動はそれ以上でしょう。
%E3%81%9B%E3%81%8C%EF%BC%95.jpg
ほぼ同じ時期にチーム・Yに入会したライバルの柏木さんと肩を並べられるように頑張って行きたいと思います。
次の目標は宮古島を完走することです。
以上。
「瀬河さん、お疲れ様でした。これからです。」
BOSS-N1-S

2010佐渡トライアスロンツアー(田中Report)

田中です。佐渡のレポート書いてみました。長くてすいません・・・

06年にAタイプを完走して以来4年ぶりのチャレンジ。転職などの環境変化により3年間トライアスロンから遠ざかっていた。仕事が落ち着き、トライアスロン復帰の為に再びチームYの門を叩いたのが昨年7月、大塚さんにNEWバイクをオーダーしたところから始まった。自分にとってのトライアスロン復活の証明はロングディスタンスを再び完走すること、06年の佐渡で止まっていた競技歴を同じ佐渡で再開させたいという思いで1年間準備に取り組んできた。06年は14時間27分、今回の目標タイムは14時間以内。

田中2.JPG

当日は9月とは思えない猛暑。だが気にしても仕方が無い。久しぶりの長丁場レースなので不安と緊張はあったが、それよりも再び佐渡のレース会場に選手としている自分がうれしかった。「暑くて長い1日を楽しもう。折角またこの場所にもどってこられたんだから。」

田中3.JPG

号砲が鳴りスイムスタート。落ち着いてゆっくり海の入る。遠浅の浜を前の人が泳ぎだすまでノロノロと歩いてついていく。ようやく泳ぎ出せたのはおそらく150m以上進んだ位の地点だった。おかげでバトルはまったく無いなか沖に向かうことができた。一定のペースで2500m地点くらいまでは進めたが、左肩に痛みが発生。ブレス方向を替えることで痛みは緩和したが、ブイの位置確認がやりにくくなったのと苦手方向のブレスなのでペースは落ちてしまった。何とかスイムパートを終え、タイムは1時間26分24秒、T1込みで1時間30分を目標にしていたので、ほぼ目標どおり。

田中4.JPG

復帰の狼煙として新調したNEWバイク&ホイール、バイクマニアとして一番頑張りたいパート。過去はスイムの後遺症でふらつき、息も上がり気味でスタートすることが多かったが、今回はすんなりスタートできた。目標ペースは30Km/H強、心拍145前後。コース前半思ったより小刻みなアップダウンがありペースが乗らない・・・両津港手前の80Km地点あたりからフラットな区間が続きやっとペースが安定してきた。応援隊のみんなが待っている小木の激坂まで早く行きたい。それをモチベーションにペダルを踏み込む。

田中5.JPG

暑さでかなり消耗していたが小木に目標だった14時前に到着。坂を登り始めたところで柏木さんにパスされる。できれば応援隊の前まででも一緒に行きたかったがペースが違った・・・
応援団長の須藤さんをはじめ熱烈な応援に力付けられ、激坂をクリア。あと30Km。15時までにランに入る目標だったが、少し遅れてバイクラップ7時間37分32秒、15時4分にT2通過。

田中7.JPG

ランの目標は5時間、キロ7分ちょっとのペース。とにかく暑い。ランスタートも過去は腰まわりがガチガチでつらかったが、今回はスムーズに走り出せた。「このまま計画通りで、自己ベスト大幅更新!?」なんてテンションアップで、まずは応援隊待機の13Km地点をめざして歩を進める。13Km地点でランスタートから90分強。

田中6.JPG

また計画通りのうれしさに応援隊の皆さんに「今回俺いけてるよね~!!」とはしゃぎながら通過。

田中8.JPG

しかし、そんなに甘くはなかった。14Km地点あたりで大ブレーキ・・・
急に足が進まなくなり、歩き出してしまった。直後にいた神戸ちゃんにパスされるも、しばらくうつむいてヨロヨロ歩いていたところに神の声?「コラ~!歩くな!!せめて早歩きしろ~!!」と怒鳴られる。ちょうど逆光になっており、はじめは誰かわからなかったが、早々に折り返してきたボブだった。制限時間までまだ余裕があることに知らず知らず甘え、気持ちが揺るんでいたところに渇を入れてもらえた気がする。脚は重かったが腕を大きく振り、少しでも早く前へと気持ちを引き締め直し、走ることが
つらいときは早歩きで進めた。このときに声をかけてもらえなかったら、もしかしたらダレてしまって制限時間に間に合わなかったかもしれない。それでもハーフ地点までで3時間もかかっていた。
制限時間まであと残り3時間半しかない・・・
2005年にあと2Kmの地点でタイムオーバーとなった悪夢が頭をよぎる。「あと21Km残すのみ、脚が痛いくらいはもう無視!」と再度気合を入れ、能のような摺り足で痛みをこらえ走る。攣ってしまうと歩が止まるので、攣りそうになる寸前までは走り、ヤバくなると早歩き、それでも回復しないときは歩くという繰り返し。このとき自分で驚いたのは何だか妙に冷静だったこと。以前ならネガティブな思考で頭が埋め尽くされ悲壮感たっぷりだったのに。考えていたのは「このレースで得たいものは一言で言えば何ですか?」そしてその答えは「完走による復活の証明」。それなりに集中できていたんだと思う。あと10Kmを切ったところで2時間近く残っていたので完走はできることを確信する。

田中9.JPG

遅い時間にゴールする私にとって、残り10KmがチームYで佐渡に出場する醍醐味。暗いコース上に何度も応援隊が現れ、最後の最後まで精一杯の応援で力付けてくれる。今回はタイミングよくゴール直前でも車で戻った応援隊が駆けつけてくれ、そのままゴール会場まで伴走してもらえる幸運!ゴールにもチームジャージの青い軍団が待ち構えていてくれ、祝福を受けながらゴールに飛び込む。毎度のことだが、嬉しさと安堵感がこみ上げ、男泣き。結局残りのハーフも3時間でランラップ6時間52秒。合計タイムは15時間4分48秒。自己ワーストタイムだけど、ほぼ4人に1人がリタイヤした過酷なレースだったことを考えると、上出来ってことにしたいと思う。

田中10.JPG

厳しいレースで目標には全く及ばなかったけど、完走できたことだけでも自信になった。この1年の取り組みで長くチームにいる仲間にも再会でき、新しい仲間も増えた。おまけに会社の同僚もトライアスロンに挑戦をはじめ、会社帰りに一緒に泳いだりと、モチベーションを共有できる良い環境のおかげで今回の完走があると思う。
みんなに感謝!チームY最高!!ありがとうございました。
完走を目標にするのは今回までにして、以降はタイムアップにチャレンジしていきたいと思います。引き続きご支援よろしく願いします。

以上

 

 

「田中さん、お疲れ様でした。頑張りましたね。」

BOSS-N1-S